「惜別・櫻」 182×364 第92回院展 惜別・櫻 郷さくら美術館蔵
この作品は、我が師である塩出英雄先生の七回忌法要の年に描いた。母校の武蔵野美術大学では塩出英雄先生、毛利武彦先生、麻田鷹司先生に教えを受け、在学中に院展に入選し、卒業後は尊敬する奥村土牛先生の塾の門下生となる事ができた。そして、ひたすら画を描き続け、いつの間にか30年以上の月日が流れていった。
奥村先生は、その師である小林古径先生の七回忌の年に、かの名画「醍醐の桜」を描き、塩出先生もその師である奥村土牛先生の七回忌には桜の絵を描いた。私も是非、桜を描きたい、いや描かねばならぬと思った。しかし、桜は日本人に一番愛されている花ゆえ、あまたの名作がある。私は咲き誇る満開の桜ではなく、散りゆく花弁の様を、そして過ぎ行く時間を描きたいと心に決めた。
流れるような桜の枝ぶりを求め、いくつもの桜の名所を歩き、取材を重ねた。真冬の木枯らしの中、蕾さえない桜の一枝を三日も写生し続けたこともある。満開になれば花で枝のラインが見えづらくなると思い、「枝の骨格は全て描き尽くしておこう」と、寒さに震えながらも頑張ったのだった。が、春になって「さぁ、花を描くぞ」と、その櫻の木の下に馳せ参じると、なんと三ヶ月の間に枝は伸び、そして花の重みで枝も垂れているではないか。少しがっかりはしたが、植物の生命力というものを今一度確認できたいい経験だった。
そして、幾多の先人が開拓した芸術の世界、その中を疾走する白馬に自分を重ねた。敬愛する先生方の教えは、舞い散る花弁の様に、時に近く手に届きそうでもあり、時に遥か彼方でもある。長い伝統の画塾の末端に携わる者として、それに相応しい精進を重ねていかねばならぬ責任感と、現代に相応する新感覚の感性も研ぎすませねばならぬ緊張感を持ち、試行錯誤を繰り返して仕上げた作品である。