日本画家 西田俊英 公式ホームページ 作品解説

作品解説

「宙」「宙」
幼い頃から絵を描くことが好きだった。野球や川遊びももちろん好きだったが、絵を上手に書くと父が褒めてくれた。父の関心を惹きたくて、また一生懸命描いたものだった。小学校に入ると友達の賛嘆の声が聞きたくて描いた。

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「華鬢」「華鬢」
20代の後半、初めて印度を訪れる機会があった。眼にするもの全てが魅惑的で面白い。想像力が研ぎ澄まされ、創作の力が沸々と湧いてくるような感覚に酔い、それから何度もこの国に足繁く通うことになった最初の旅だった。

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「煙雨山河」「煙雨山河」
30代の半ば、院展での落選や仕事のスランプ等が重なり、自分の絵の方向性に疑問を持ち、何を描くべきかと迷い始めてしまった。逃げるように一の倉沢や新潟の山々などに籠り、ひたすら自然の中で眼前のものを有るが儘にスケッチしていた。

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「プシュカールの老人」「プシュカールの老人」
印度の西部に、ラクダ市で有名なプシュカールという町がある。といっても、半月前には何もなかった砂漠の土地に、柵が打たれ、テントが張られ、出店や食堂が出来、移動の遊園地まで作られ、あっという間に何万人もの人や・・・

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「街の灯」
以前よりヨーロッパの歴史を感じさせる石畳の町並みにとても心惹かれ、パリ、イタリアやスペインへと何度か旅を重ねた。そしてこの雨上がりのウィーンで、老舗カフェの暖かな店の灯と人恋しくなるような街灯が、・・・

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「キング」「キング」
何度となく取材に訪れていた印度だが、実際に1年間、五人家族で住まいを構えてみるには、印度の風土も生活も過酷なものだった。しかし、家の前が広大な公園だった為、犬や野豚や牛、リス、荷を背負ったロバ等は勿論、・・・

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「きさらぎの月」「きさらぎの月」
私は焦っていた。中部地方のこの地に、何年も前から心に決めていた題材を取材しようと思って来た筈なのに、あった筈のものが無い。そこにある筈のものが無くなっている。記憶が違うのかと、桜を愛でる行楽者のの行き交う中、・・・

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「吉備の鶴」「吉備の鶴」 右隻「鳴き合い」左隻「誕生」
ここ数年、縁あって岡山各地を取材する機会が増えた。瀬戸内海の風景も素晴らしいが、正月の後楽園から放鳥される鶴に驚いた。北の地方に飛来すると思っていた丹頂鶴が、岡山の自然保護センターで飼育されているという。そして、・・・

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「惜別・櫻」「惜別・櫻」
この作品は、わが師である塩出英雄先生の七回忌法要の年に描いた。母校の武蔵野美術大学では塩出英雄先生、毛利武彦先生、麻田鷹司先生に教えを受け、在学中に院展に入選し、卒業後は尊敬する奥村土牛先生の塾の門下生・・・

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