日本画家 西田俊英 公式ホームページ 作品解説「きさらぎの月」

「きさらぎの月」 182×332 第90回院展内閣総理大臣賞

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 私は焦っていた。中部地方のこの地に、何年も前から心に決めていた題材の取材をしようと思い来た筈なのに、あった筈のものが無い。そこにある筈のものが無くなっている。記憶が違うのかと、桜を愛でる行楽者の行き交う中、何度も歩き周っては足が棒のようになり、そのうち探すことに疲れ果て、呆然と立ち尽くしてしまった。「あきらめよう・・しかし・・」と落とした肩に一片の桜が舞い降りてきた。
 眼前には同じ枝垂れ桜の散り行く花弁に包まれて、柵の中に老馬が一頭佇んでいる。かつては美しく張り切っていただろう筋力も衰え、いままでの充分な働きに報いた余生をのどかに過ごしているような馬である。私が見ているのは、全てがゆっくりと時を刻んでいる春の日の何気ない一場面であった。先程までのせかせかとした私が見過ごしていた世界。しかし、諦念した私の意識の中で、のどかな陽光はやがて柔らかく静かな月の銀光へと、頭を垂れた歳老いた馬は、寧ろ人生の後半を迎えた私自身の分身のように感じていくのだった。そして脳裏にはかの西行法師の歌が浮かんできた。
―願わくば 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃―
 盛りをすぎた白馬の最期を月も桜も愛おしみ、その光と花弁で優しく包み込もうとしている。そして老馬は瞳を閉じ、己の過ぎ行きた人生を愛しく思いおこし、心静かに天命を待っている。
 西行法師の歌の中では望月であったが、あえて私の画の中では少し欠けた月の方が相応しいような気がした。静かな死生観を墨と胡粉、プラチナでのモノクロームの世界で表現し、はらはらと花弁が舞い散る余白には日本人の琴線にふれる余韻を表現したいと、虚構の中の現を描いてみたいと、思った。